日本 SF作家クラブ50周年記念・国際 SFシンポジウム II (ISFS2)・キックオフ
「日本・ SF・翻訳ーー川又千秋『幻詩狩り』英訳を記念して」レポート

巽 孝之  (慶應義塾大学文学部教授、SF批評家、国際SFシンポジウムII実行委員長)

キックオフ会場の模様(キックオフ会場の模様)

1970年に日本SF作家クラブの主催により、大阪万博と連動して行われた国際SFシンポジウムは、アーサー・C・クラークやフレデリック・ポール、ジュディス・メリルら英米作家のみならずワシリー・ザハルチェンコやユーリ・カガリツキー、エルメイ・パルノフらソ連作家も出席し、史上初めて東側と西側の作家が出会った記念すべき会議として、日本SF史上、いまも語り継がれている。

以来42年を経て、かつては欧米SFの輸入一辺倒だったわたしたちは、何と日本SFが世界的水準で翻訳され、とりわけ英語圏で人気を博すという未曾有の輸出増加時代を迎えた。1960年代には星新一の「ボッコちゃん」の英訳に加えほんの数編に限られていたのに、1980年代以降、日本のマンガやアニメの時ならぬブームが日本語教育熱を煽り、若く優秀で高度な日本語能力を備えた日本学者を生み出し、栗本薫の『グィン・サーガ』から伊藤計劃の『ハーモニー』におよぶ長編小説に至るまでがぞくぞく訳出されるという、それ自体がSFとしか思われぬ時代が到来したのである。そんな21世紀に、日本SF作家クラブが50周年を迎える2013年の助走として、今回の国際SFシンポジウムIIのキックオフは計画された。

きっかけは、今年2012年、原著の出版から28年、原型中編「指の冬」から数えると35年の歳月を経た川又千秋氏の第五回日本SF大賞受賞作『幻詩狩り』(原著 中央公論社、1984年;東京創元社、2007年)がミネソタ大学出版局よりDeath SentencesTr. Thomas LaMarre and Kazuko Behrens. Introd. Takayuki Tatsumi.  Minneapolis: U of Minnesota P, 2012)として英訳刊行されたことである。幸い北米での評判もよく絶賛のブログ書評も相次いでいるところへ、訳者のひとりでカナダのモントリオールはマッギル大学で教鞭を執り、現在日本のサブカルチャー研究誌として国際的に読まれている『メカデミア』(同じくミネソタ大学出版局より年刊)編集委員でもある日本学者トマス・ラマール教授が急遽来日することになったため、われわれは同書刊行を記念するシンポジウムを2012年7月4日(水曜日)午後5時半から7時半まで、都内は赤坂に近い城西国際大学紀尾井町キャンパス地下ホールにて開催した。

総合司会の事務局長・増田まもる氏による円滑な進行で、開会の挨拶に主催校メディア学部長・袁福之(えん・ふくゆき)教授、われわれの会長・瀬名秀明氏が立つ。続いて筆者の司会により、まずは『幻詩狩り』共訳者のトマス・ラマールの「時の渦巻」と題する基調講演(『SFマガジン』2012年8月号にその原型となった『幻詩狩り』ミネソタ版ラマール解説邦訳「時の渦巻」 [海老原豊訳]掲載)、それに続いて川又氏とは同郷・小樽出身で日本におけるニューウェーヴ系思弁小説の草分けたる荒巻義雄氏、川又氏と同い年でともに日本における SF評論樹立に貢献したミステリ作家の笠井潔氏、そして最後に著者川又千秋本人という順序で議論を展開。

『幻詩狩り』はもともと第二次世界大戦中にシュールレアリスムの巨匠アンドレ・ブルトンが出会った東洋系フランス人フー・メイの手に成る幻詩、すなわち読む者を異界へ引きずり込み現実における生命を断ち切るテクストが、めぐりめぐって1980年代前半バブル前夜の高度資本主義日本へ持ち込まれ、ひいては未来の火星植民地にまで影響を及ぼすという壮大な構想に貫かれているため、議論はたんにシュールレアリスムからポストモダニズムへ至る精神史のみならず、作品終盤にすがたを現し 21世紀現在再評価の進むカール・シュミットやジョルジョ・アガンベンの例外思想に至るまで、多岐に及んだ。1980年代前半のバブル前夜の日本的広告産業内部より幻詩が蔓延して行く描写は多くの読者を掴んだが、いっぽう同書後半の火星植民地での闘争においては、ずばりカール・シュミットなる名前の登場人物が現れるのだから、まことに『幻詩狩り』は射程の広いSF小説であったことが、改めて確認された。

当日は<SFマガジン>はもとより毎日新聞や東京新聞、週刊読書人など多くのメディアが取材していたので、いずれ詳細は報告されるはずである。わたし自身も北米の月刊SF情報誌<ローカス>にレポートを寄稿予定(英訳版序文の拙稿は『SFファンジン』56号(2011年8月)に「幻詩 1984年:シュールレアリスムからポストモダニズムへ」として訳載されているのでご参考までに。通販はこちら:madam_2001@mac.com)。なお当日の映像そのものは、下記の YouTubeで目にすることができる。http://www.youtube.com/user/sfwj50

当日はシンポジウム会場がキャパ160名のところ補助椅子まで出る盛況であったから 200名近くが参集したものと思われる。続いて8時よりイオの乙部順子氏の名司会で行われたルポール麹町(旧・麹町会館)2階サファイアの間におけるレセプションには80名強が参加、会場内にはサイン本を含む出版物やグッズ販売ブースも設けられ半ばお祭り気分に。乾杯の音頭は荒巻義雄氏、スピーチには城西国際大学メディア学部より学部長の袁福之氏と同特任助教で今回のシンポジウムの実質的仕掛人・中尾玲一氏が立つ。続いて川又氏の古巣・一の日会の面々も全員集合し、林芳隆氏や森下一仁氏が挨拶。日本研究や英訳出版にかかわる外国人参加者も多かったので、フランスから来た日本SF研究者ドゥニ・タヤンディエールやイタリア出身で現在シドニー大学にて教鞭を執る日本文学研究者レベッカ・スーターの諸氏もステージに引っ張り上げられ、和やかにして国際色豊かなパーティは大盛況のうちに幕を閉じた。前掲『メカデミア』編集長で日本の少女文化とコスプレ文化に傾倒するフレンチ・ラニング氏が参加していたことも、特記しておこう。

レセプションにおける川又千秋氏(レセプションにおける川又千秋氏)

レセプションにおけるトマス・ラマール氏(レセプションにおけるトマス・ラマール氏)

終宴10時。そのあとも話し足りない参加者たちは二次会、三次会と杯を重ねて幻詩力を充電し、わたしが深夜の赤坂にて川又、笠井両氏を見送ったのは何と午前3時であった。

最後に、1970年の国際SFシンポジウムとの決定的な違いを三点のみ挙げておく。まず、国際会議であるにもかかわらず共通言語が英語でなく日本語で、通訳を置かなかったこと。つぎに、話題の中心となるのが和訳された欧米SFではなく英訳された日本SFだったこと。そして第三に、今回の開催が急遽決まったため、ハードコピーによる正式な招待状ではなく、ネットや新聞雑誌メディアの情報をフル活用したことだ。国際会議としては異例づくめではあったが、にもかかわらず何とかぶじ終ったことで、ホッと胸を撫で下ろしている次第である。