「熱海の夜は天国だった」かんべむさし

早川書房のSFコンテストで選外佳作となってのち、昭和50年(1975)という一年間は、会社勤めとの「二足の草鞋」状態で原稿を書いていた。しかし遂に決心してその年末で退社し、失業保険の手続きも一応しておいた。作家専業になるつもりではあったが、「もらえるものなら、もらいましょう」とも思ったからだ。ところが年頭、その最初の出頭日も決まったあと、日本SF作家クラブの事務局長という人から電話が入った。

「高齋正と申します。クラブの恒例行事で、鎌倉霊園の大伴昌司さんのお墓に参ったあと、熱海で一泊する親睦旅行があります。今回、顔見せの意味で参加されたら、そのまま総会で入会許可も出るという含みなんですが、おいでになりませんか」

ただし偶然ながら、その旅行の日は右記の出頭日と同じなのだった。安月給のサラリーマンをやめたばかりの当方、一瞬にせよ迷ったか。いいえ、迷いませんでした。聞くなり「ありがとうございます!」と声をうわずらせ、六年間払い込んだ失業保険料は国に寄付して、いそいそわくわく不安も少々、同じ勧誘を受けた堀晃、横田順彌、鏡明の諸氏とともに参加していたのだ。そしてその熱海旅行において、ぼくの人生は劇的に変わった。

以下、大伴さんの七回忌をもって区切りがつくまで毎年参加した記憶も含めて書くなら、往きの列車のなかで、霊園のお墓の前で、旅館の広間における宴会中に、さらには部屋にもどっての麻雀大会において。星新一さんがとんでもない発想を披露する。小松左京さんが膨大な知識を駆使して論じる。筒井康隆さんが鋭く切り込み、半村良さんがみごとにいなす。眉村卓さんの話は手塚治虫さんが発展させる。平井和正さんの質問には豊田有恒さんが解説する。しかもそれら一切を、皆が軽く楽しく笑いとともにつづけている。

「ああ、こういう世界があったのか。ここでは何を言ってもよく、それどころか無茶苦茶な発想ほど喜ばれるのだ。しかも、どんな知識を披露してもサラリーマン時代のようにペダントリーだと思われ皮肉を言われることもなく、逆に自分の知識なんぞは微々たるものなのだと悟らせても貰える。それを思うと、おれは嬉しくて嬉しくて、文字通り飛び上がりたいほどの気分になっているのだ。うわあっ。やったーっ。ここは天国じゃーっ!」

そういう面に対するそれまでの抑圧が強かったただけに、激烈な解放感を覚えていたのだ。かくして現在も、ぼくにとっての日本SF作家クラブとは、「天国を体験させてくれる人々の会」なのである。以上、言外の思いには御賢察を乞いつつ一筆まで。