「私と日本SF......半世紀前の鮮烈なパワー」秋山完

何処かの空に憩う「はぐれ雲」

最近までサラリーマン生活で、琵琶湖畔の辺境暮らしのため、会員の皆様とは心ならずもご無沙汰ぎみ。はぐれ雲の如き影の薄さをお詫びしますとともに、この場では日本SFに対する私の個人的な思いを述べさせていただきます。

SFの定義を緩く解して幻想的な作風も含めますと、特に印象深いのは、安部公房氏の『第四間氷期』(1959)、三島由紀夫氏の『美しい星』(62)、そして小松左京氏の『日本アパッチ族』(64)。それぞれの作品世界において、未来人の恐るべき進化、宇宙人から見た人類文明、そして日本人の野生的本能に対峙することで主人公が翻弄され変貌していくとともに、読者である私も何者かの手で内臓や脳味噌をシェイクされ、人ならぬ異形に作り替えられるような衝撃と酩酊感にとらわれたのを覚えています。常識の土台を覆されて足元から転倒するような。日本SFの凄さ、ここにあり、ではないでしょうか。

ジュブナイルでは筒井康隆氏の『時をかける少女』(67)と眉村卓氏の『ねらわれた学園』(73)が並び立ちます。時間跳躍と精神支配、それぞれのテーマだけでなく、"少女"が中心となって大活躍する点でも時代を先取りした快作でした。

アニメの筆頭は東映動画の『太陽の王子ホルスの大冒険』(68)。キャラの造形や背景美術の神技的な美しさに加えて、人類が文明の力で自然の脅威を組み伏せていく過程を象徴的に描き、エコロジー・テーマの萌芽が読み取れます。その後の『未来少年コナン』『風の谷のナウシカ』『もののけ姫』『崖の上のポニョ』へと連なる環境系SF・ファンタジーの原点となる不朽の名作でしょう。同じく東映動画の『空飛ぶゆうれい船』(69)は社会的な美名に隠れた黒幕のさらに黒幕が暴かれ、メディア操作による大衆誘導の心理テクニックや、最後まで正体を明かさない敵の不気味さなど、大人も堪能させる筋運びが光ります。しかも後年の『ふしぎの海のナディア』や『新世紀エヴァンゲリオン』を彷彿とさせる設定があれこれ...と、歴史的な影響も楽しめる佳作です。

そして極め付けは手塚治虫氏が製作総指揮を執ったファンタジー大作『千夜一夜物語』(69)。主人公が砂漠に長い影を落としてずんずんと歩いてくる冒頭だけで、人間のぎらぎらした情念やどろどろした生への執着が目に焼き付けられます。日本SF作家クラブが生まれたあの時代、先駆者の作品はかくも鮮烈なパワーにあふれていました。

70年の日本万国博に描かれた明るい未来の夢は破れ、21世紀の私たちは幻滅のディストピアに生きています。地震や津波といった自然災害、原子力を含む人為的災害、テロの恐怖、そして格差社会がもたらす貧者と富者のモラル崩壊が、小説よりも奇なる現実として突きつけられています。現代の混濁した閉塞感にSFが鋭い風穴を開けることができるのか、半世紀前の作品に問いかけられているのかもしれません。