第5代会長 豊田有恒
日本SF作家クラブ50年に寄せて。 不毛の大地は、緑の沃野だった。

歴代会長からのメッセージ

豊田有恒

日本SFの発祥の原点は、今から五十年以上も前、早川書房、東宝映画の共催による日本SFコンテストである。第一回、第二回と続いたコンテストで、多くの作家、いわゆる第一世代の日本SF作家が誕生した。特に、第一回は、正式な入選作なしとしたため、佳作という形で、賞金を配分したほか、努力賞、奨励賞など、各種の賞が設けられたから、受賞者の人数が増えた。

かく言うぼく、豊田有恒も、そのひとりだった。もともと、黒沼健氏のノンフィクションで、SFのネタになる超能力、UFO、不思議な話などに、興味を持ち、SFマガジンの創刊にとびついたくらいだから、応募することに迷いはなかったが、子供のころ読売新聞の「作文コンクール」で地区予選に入賞したことがあるくらいで、文学、小説とは縁遠かった。「時間砲」は、のちに、「時間砲計画」として、ジュブナイルもので長編化するのだが、五十枚という枚数制限が課されていたなか、のちの長編のエピソードは、すべて入っていた。つまりシノプシス(梗概)のようなものだったのだ。佳作第三席(賞金一万円)でも、編集部では小説の体をなしていないとして、反対が多かったという。

このとき、強力に推してくだったのが、東宝の田中友幸さんだったと聞いている。ゴジラの名プロデューサーは、小説の体をなしていなくても、アイデアがユニークで、映画化の要素が強いとして、推薦してくださったのだ。

この二回のコンテストで、小松左京、光瀬龍、筒井康隆、眉村卓、半村良、平井和正(敬称略)など、いわゆる第一世代のSF作家が、そろってデビューしたことになる。御大星新一さんだけは、それ以前に、江戸川乱歩さんに認められて、デビューを果たしていた。

星さんが、ひとまわり上の寅年で、同じ年の生まれに、松本零士、石ノ森章太郎、平井和正などがいる。また、昭和一桁の最後の九年生まれが、筒井康隆、眉村卓である。

こうした、いわば同志とめぐりあうのは、いますこし後になる。ぼくの場合、たまたま早川書房で、矢野徹さんと出会い、同人誌「宇宙塵」に入ることを勧められた。矢野さんは、コンテストの経過を、編集部から聞いておられたにちがいない。たぶん、小説の体をなしていないが、面白いアイデアの作品を書いた奴くらいの予備知識で、的確なアドバイスをくださったのだろう。つまり同人誌で文章のイロハから勉強しろというわけだ。柴野拓美さんと出会ったことから、会合の折などで、多くの同志と知り合うことができた。星新一さん、光瀬龍さん、野田昌宏さん、平井和正さんなど、SFの話ができる同志に、初めてめぐりあえたことになる。

ある時、例会をやっていた大岡山の蕎麦屋の二階に、同人仲間の手塚治虫先生が、来られた。実は、それ以前に、ぼくは、手塚先生に対して、とんでもない行動に出たことがある。子供のころからファンだったから、だしぬけに虫プロダクションに電話して、SFを書いているものだと名乗り、先生に会いたいと申しいれたのだ。手塚先生は、会ってくださった。開口一番「SFコンテストの豊田さんですね」と言われたので、ぼくのことを知っていてくださると、大感激した記憶がある。あとで判ったことだが、先生もSFマガジンの熱心な読者で、SFコンテストの記事を読んで、選評から、タイムマシンを武器として使うアイデアを書いた人間の名を、覚えていてくださったのだ。

その時、ぼくがとった態度は、いま思っても冷や汗が出るくらい、ひどいものだった。なんと、「時間砲」の原稿を出して、これを先生の手で漫画にしてくれと、頼みこんだのである。アマチュアの作家志望者の原作付きで、天下の手塚治虫に漫画を書けというのだから、無礼ものと言われて、つまみだされても仕方がない場面だ。ところが、手塚先生は、「ぼくの手で漫画に、というわけにはいきませんが、SFというのは、将来性のあるジャンルだから、頑張りなさい。そのうち、折を見て、出版社に紹介してあげましょう」

手塚先生は、どんな年下の相手にも、ですます調で話す。そのときは、それきり帰った。いくら世間知らずでも、出版社に紹介うんぬんは、社交辞令だと思ったが、のちに、先生の秘書から電話をもらい、先生が出版社まわりに出かけるので、連れて行ってくださるということだった。そこで、すぐに駆けつけると、虫プロの社長専用車の3ナンバーのグロリアに、乗せこまれた。光文社、集英社、講談社などで、先生は「SFコンテストに入選した有望な新人」として、ぼくを売り込んでくださった。

こういう話を続けていくと、いくらページがあっても、足りなくなる。当時、世間の人は、SFなどというジャンルは、不毛の荒野だと考えていた。しかし、ぼくたちは、そこに無限の可能性があると信じて疑わなかった。それから、SFが、不毛の荒野から、緑したたる沃野に変わって行く歴史については、また、稿を改めて語りたい。

ともあれ、SF作家クラブが誕生してから、もう五十年にもなる。多くの同志が鬼籍に入られた。また、SFの地盤沈下も言われる今日である。だが、今回、日本SF大賞の候補作を読んで、傑作ぞろいなので意を強くした。必ずや、SFは再起して、かつての繁栄を取り戻すにちがいない。SFよ、50周年、おめでとう。